メモリーと人間の器
docomoのガラケーから格安スマホに変更し、電話帳を手入力している。
ガラケーの電話帳には初めて携帯電話を買った高校生の頃から番号交換した人たちの連絡先もあり量的には200件くらい入っている。
99%は連絡を取り合っていない人たち。
その中の誰を入れ、誰は入れないのか。
精考し、移し替えるのは親兄弟を入れても20件くらいにしかならない。
そんな中、死んだ母親が使っていた携帯電話の番号もあった。
「かあちゃん」という名称で登録されていた。
母が死んで10年以上も前に解約した番号だ。
もう今はどこかの誰かが使用しているかもしれない。
それでも母親が存在した証明として残しておきたい気持ちが強く、スマホの電話帳に入力した。
また「かあちゃん」て名前で。
そしてもう一つ手が止まったことがあった。
こんな僕でも過去に恋人がいたことがある。
振り返っても人生で良い時だった。
僕という人間の器の小ささにより別離れることになったが、もしも当時に戻れるならと考えることがある。
人生に「たら・れば」はないのに。
その人の連絡先は今はもう変わっているかもしれない。
でも残してあった電話番号とメールアドレス。
これをスマホの電話帳に入れるのか入れないのか。
そんなところにふと立ち止まってしまった。
相手は僕のことなど微塵も思い出すことなんてないだろうに。
こういう時は男って女々しいな。
っていうか自分が。
さてと、森田童子先生の「僕たちの失敗」のお世話になろう。
ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ