独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

ちびと僕

 実家にいた頃、犬を飼っていた。


名前はちび。


もともと僕が高校生の頃に兄がもらってきた子犬がちびだった。雑種犬。
たしか母親ががんで手術をした後で、犬がいれば散歩がリハビリにもなるだろうという理由からだったと記憶している。


でも、実際に飼い始めると兄も母もちびの散歩には行かず、僕がよく散歩に行くようになった。


僕が進学で東京に住んでいた頃などは、数日間散歩に連れて行かないこともざらにあったようだ。


たまに実家に帰ると、ちびの小屋の周囲にはよくう〇こがしてあった。
それも何日分もの。
う〇こを片づけることさえしないほど、数日間散歩に連れて行かないほど可愛がっていなかったのだ。


だからかわいそうだなと思って、実家に帰れば僕が散歩に行っていた。


東京を離れ実家に戻ってからも、仕事で遅くなってもちびの散歩には行った。
逆に僕以外は誰も散歩に行くことはなかった。


だからなのか。


他の家族が帰ってきてもちびは鳴かないが、僕が帰ってくると車の音で分かるようで
鳴いて吠えてくれた。


それが可愛くてしかたなかった。
僕の帰りを待ってくれているようで。


ある時、ごはんをあげようとちびが使っている容器を持ち上げると、茶色い物体が容器に入っていた。
あれ・・・ちび昨日のごはん(ドックフード)食べなかったの?と思ってよく見ると、う〇こだった。


いくらなんでもさ、普通自分が毎日ごはんをもらっている容器にう〇こするか?


お手も何も出来ない、そんなバカなちびだったけどやっぱり可愛かった。


それは僕を必要としてくれ、僕の姿をみれば喜んで吠えてくれたからだ。



ちびは13~4年生きただろうか。
最期はあれだけ好きだった散歩に連れて行っても歩かなくなり、ご飯も食べなくなり、吐血して息絶えた。


今でも時々ちびを思い出す。


実家は「もう犬は飼わない。散歩に連れていかないとだから」という方針で、猫を飼っている。
猫もかわいい。


でも、ちびの記憶がある僕としては犬がいいなと思う。



誰かから必要とされることで人間は自分の存在価値を見だすことが出来、役割をみつけられるのだと思う。
それが生きる意味となる。



だから僕は自分はなぜ生きているのかわからない。


今週末はちびの墓参りに行こうと思う。