湘南ボーイと横須賀ガール
先日ひげの永久脱毛を申し込んだと書きました。
エステサロンの脱毛だとパワーが弱いため時間がかかるようなので、申し込んだのは医療脱毛。
湘南美容クリニック(最近湘南美容外科から名称が変わったらしい)です。
よくCMで見ますね。大手です。
気になる料金は、
鼻下+あご+あご下の3か所を6回のセットで¥29800。
個人差はありますが、だいたい15~20回くらい行うと髭がかなり目立たなくなるようです。
つまり、6回¥29800を3クールくらい繰り返すことになります。
10万弱でしょうか。
ちょっと前までは回数無制限のプランがあったようなのですが、人気が殺到したことにより新規の予約枠が取りづらくなってしまっている等の理由で今は回数無制限のプランはなくなってしまったとのこと。
それではクリニック側も儲からないんでしょうね。
はじめは契約時にまとまった金額の支払いがあるけれども、その後はまったく収益がないわけですから。
で、その初回カウンセリングに行ってきました。
きれいなお姉さんから色々説明や注意点を聞いた後で支払い。
¥29800を払って、初回の予約をいれてきました。
現在男性のひげ永久脱毛は大人気で、超混みあっておりなかなか予約がとれない状況です。
現在大手の医療脱毛だと、
①ゴリラクリニック
②湘南美容クリニック
③メンズリゼ
なんかが男性用医療レーザー脱毛をメインに取り扱っていますが、特にゴリラクリニックなんかは3月に問い合わせた時点で5月末まで予約がいっぱいだと言われました。
湘南美容クリニックは店舗数が多いためまだ予約がとれましたが、それでもGWです。
値段や使用機器などもクリニックによってまちまちで、ゴリラクリニックなんかは比較的すいている平日の午後15時くらいまでのプランだったらかなり安く出来るのですが、夜や土日の時間帯になるとオプションで値段が2万円くらい高くなるようでした。
それだけ混みあっているってことですよね。
僕は今まで髭を抜いていたのですが、脱毛前に抜くのはNG。
2w~1Mくらいは髭を抜かない期間を設けるようにとのことでした。
毛根の周期に影響するそうです。
そんなこんなで、早く「髭剃り」という究極にめんどくさい行為から解放されたいです。
げっそりとぐったり
なんだか今日はずっと忙しく、バタバタの1日でした。
お昼頃にはすでにぐったり。
年度初めの仕事がまだ落ち着かずにいるのですが、突発的に発生する事案も多く、今日も「またかよ」といった上司からの指示にげっそり。
まぁ僕のような下々の者は上司の駒として動かなければならないわけですが、「またよくそんなこと言えるよな、少しは俺の立場も考えろよ」と心で毒を吐きながら顔で笑って心では泣いて。「マジありえねぇ」とずっと心の中で呟いてました。
帰りも遅く、職場を出たのは22時過ぎ。
もう自分にご褒美してあげまくりたくて、帰りはラーメン食べて帰ってきました。
3週間前に行ったのと同じ店。
というか、そこしかラーメン屋は行かない。
なぜならこれ以上美味い店はないと思っているので。
自分の好みに100%合致してるので。
まぁいいや。
自分にご褒美しないとほんとやってけない。
アメリカンとラグ・シー
昨日のYAHOOニュースで見てちょっとびっくりしました。
アメリカン ラグ シー全店閉店。
略して「ラグシー」って呼んでたっけ。
今はもう行かないですけど、
自分が東京にいた頃の10代後半~20代前半くらいまではよく通っており、店員もおしゃれでセレクトしてある服やブランドもけっこうデザインが良くて好きでした。
まぁここは値段もそこそこするのでそんな頻繁には買えませんでしたが。
当時雑誌のsmartとか読んでるような10代とか20代にはかなり人気があったと思います。
たしか新宿駅の東南口のタワレコとかあるビルとか、原宿と渋谷の間くらいだったっけか、渋谷公園通りにあった店によく行ってた気がします。
特に公園通りの店はSHIPSとかBEAMSとかも並んでて、ちょっとした買い物コースだったような。
当時SHIPSとかBEAMS、ジャーナル、アローズがカジュアル路線の中、ラグシーは尖った感じのセレクトが多くて。
でもこれも時代ですね。
ファストファッションに押されて、売れなくなってしまったのでしょうか。
なにか特徴やブランドネームがないと売れないんでしょうね。
ただの値段の高いセレクトショップってだけじゃ。
普通にパンツとか無地の服ならユニクロで充分ですし。
おしゃれの風潮も、
高いブランドや奇抜なデザインで固めるよりもファストファッションをかっこよく着こなす方がおしゃれだったり、あとは一点豪華主義でアウターとかは良いブランドのもので長く着られるもの、みたいなのにチェンジしている気がします。
よく通ってたのは15年も前だけど、個人的にはけっこうショッキングなニュースでした。
あの頃はかなり有名だったのに徐々に淘汰されていく。
時代は変わっていくのだなと。
自分も「あの頃」を懐かしむことが出来る年齢になってしまいました。
ちびと僕
実家にいた頃、犬を飼っていた。
名前はちび。
もともと僕が高校生の頃に兄がもらってきた子犬がちびだった。雑種犬。
たしか母親ががんで手術をした後で、犬がいれば散歩がリハビリにもなるだろうという理由からだったと記憶している。
でも、実際に飼い始めると兄も母もちびの散歩には行かず、僕がよく散歩に行くようになった。
僕が進学で東京に住んでいた頃などは、数日間散歩に連れて行かないこともざらにあったようだ。
たまに実家に帰ると、ちびの小屋の周囲にはよくう〇こがしてあった。
それも何日分もの。
う〇こを片づけることさえしないほど、数日間散歩に連れて行かないほど可愛がっていなかったのだ。
だからかわいそうだなと思って、実家に帰れば僕が散歩に行っていた。
東京を離れ実家に戻ってからも、仕事で遅くなってもちびの散歩には行った。
逆に僕以外は誰も散歩に行くことはなかった。
だからなのか。
他の家族が帰ってきてもちびは鳴かないが、僕が帰ってくると車の音で分かるようで
鳴いて吠えてくれた。
それが可愛くてしかたなかった。
僕の帰りを待ってくれているようで。
ある時、ごはんをあげようとちびが使っている容器を持ち上げると、茶色い物体が容器に入っていた。
あれ・・・ちび昨日のごはん(ドックフード)食べなかったの?と思ってよく見ると、う〇こだった。
いくらなんでもさ、普通自分が毎日ごはんをもらっている容器にう〇こするか?
お手も何も出来ない、そんなバカなちびだったけどやっぱり可愛かった。
それは僕を必要としてくれ、僕の姿をみれば喜んで吠えてくれたからだ。
ちびは13~4年生きただろうか。
最期はあれだけ好きだった散歩に連れて行っても歩かなくなり、ご飯も食べなくなり、吐血して息絶えた。
今でも時々ちびを思い出す。
実家は「もう犬は飼わない。散歩に連れていかないとだから」という方針で、猫を飼っている。
猫もかわいい。
でも、ちびの記憶がある僕としては犬がいいなと思う。
誰かから必要とされることで人間は自分の存在価値を見だすことが出来、役割をみつけられるのだと思う。
それが生きる意味となる。
だから僕は自分はなぜ生きているのかわからない。
今週末はちびの墓参りに行こうと思う。
メモリーと人間の器
docomoのガラケーから格安スマホに変更し、電話帳を手入力している。
ガラケーの電話帳には初めて携帯電話を買った高校生の頃から番号交換した人たちの連絡先もあり量的には200件くらい入っている。
99%は連絡を取り合っていない人たち。
その中の誰を入れ、誰は入れないのか。
精考し、移し替えるのは親兄弟を入れても20件くらいにしかならない。
そんな中、死んだ母親が使っていた携帯電話の番号もあった。
「かあちゃん」という名称で登録されていた。
母が死んで10年以上も前に解約した番号だ。
もう今はどこかの誰かが使用しているかもしれない。
それでも母親が存在した証明として残しておきたい気持ちが強く、スマホの電話帳に入力した。
また「かあちゃん」て名前で。
そしてもう一つ手が止まったことがあった。
こんな僕でも過去に恋人がいたことがある。
振り返っても人生で良い時だった。
僕という人間の器の小ささにより別離れることになったが、もしも当時に戻れるならと考えることがある。
人生に「たら・れば」はないのに。
その人の連絡先は今はもう変わっているかもしれない。
でも残してあった電話番号とメールアドレス。
これをスマホの電話帳に入れるのか入れないのか。
そんなところにふと立ち止まってしまった。
相手は僕のことなど微塵も思い出すことなんてないだろうに。
こういう時は男って女々しいな。
っていうか自分が。
さてと、森田童子先生の「僕たちの失敗」のお世話になろう。
ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ
希望と光
山下弘子さんという女性をご存知でしょうか。
19歳で肝臓がんを患って余命半年と宣告された女性です。
アフラックのCMに出演されていたので、顔に見覚えのある方も多いと思います。
(画像はサイトから拝借しています)
自分もニュース番組の特集などで拝見したことがありました。
たしか嵐の桜井くんにも取材されていたような。
山下さんですが、3月25日に亡くなられていたそうです。
先ほどNHKの番組で見て知りました。
当時テレビで拝見する姿は末期がんを患っているとは思えないほど元気そうで生き生きとしており、そのけして生きることを諦めない姿は同じ病気を患う人を元気づけていたと思います。
病気を悲観するのではなく、今自分が出来ることを精一杯やろうとするその姿はテレビで見ていても素敵な人だなぁと感じさせました。
そんな山下さんだからこそ周囲にはいつも人が集まり、限りある時間を駆け抜けられたのだろうなと思います。
もっともっと生きたかったでしょうし、もっともっとやりたいことがあったと思います。
悔いがないなんてことはなくて、もっともっと生きたかったはずです。
ご冥福をお祈りいたします。