小ぶりと常識
僕は人として最低限の挨拶とか思いやり、礼儀の出来ない人が嫌いです。
たとえば、朝出勤して自分から「おはようございます」と挨拶しても頭を下げて会釈だけする人がいます。
あとは、お年寄りや足が悪い人に席や道を譲らない人とか。
今日プールで泳いでいて、父と娘の親子がいました。
娘は小学校低学年くらいで、その娘があともうちょっとで25m泳ぎきるというところで、彼女の進路の目の前に僕が立っていました。
25mのゴールを目指している女の子は必死でクロールしているので、自分が避けないとぶつかるなと思い、直前で端に避けました。
横にぴったり付いて見守っている父親は僕が避けたのを目の前で見ているのにもかかわらず、「ありがとう」の一言もなく当たり前のように「すごーい、25m泳げたじゃーんー!」と喜んでいました。
その姿を横目でみながらイラッとしました。
「すごーい!じゃねえよ、一言言うことがあるんじゃねえの」と。
その女の子一人だったら、別になんとも思いません。
必死で泳ぎきろうと頑張っているのですから。
でも傍らに父親がいるのなら話は別。
公共の施設なのだから互いに譲り合いながら利用するものなはず。
それなのに、僕が端に避けたのを当たり前とでも思っていたのでしょうか。
そんなこと気にする自分が小さいのか、常識人なのか時々分からなくなることがある。
ハーフタイムとオフサイド
先日、昔の同僚から食事の誘いを受けました。
どうやら牛丼屋の無料券があるようで、一緒に行かないか
とのことです。
親父以外の誰かと食事に行くのは2年ぶりくらいでしょうか。
少なくとも2017年は交際費ゼロだったので、
1年以上ぶりではあります。
思い出せないくらい。
それでもこんな僕にありがたいお誘いだし、その無料券で
ごちそうしてくれるということなので、
明日仕事帰りに久々出かけてきます。
さすがに牛丼だけごちそうになるってのも悪いので、
食後のデザートみたいなのはこちらがお礼しなくちゃかなと思っています。
ひきこもり私生活のリハビリテーション。
万華鏡と車輪眼
今日職場の人がももクロのライブの先行発売チケットの抽選に落ちたと周囲に話しているのが聞こえました。
東京ドームだったようですが、同じももクロ仲間もけっこう取れなかった人がいるようで、次は一般発売にかけるとのこと。
ライブやSNSなどでももクロファン同士の繋がりがけっこうあるようで、同じ趣味を持つ者同士で楽しそうなのが伝わってきました。
その人は僕とほぼ同じ年で独身。
僕は特に熱中できるような趣味もなく、日々を漠然と過ごして時間が流れて行きますが、彼は熱中できる趣味がありそれを通して繋がっている仲間がいる。
今後年を重ねていくにつれ、親父も死んだら実家も疎遠になり、ますます一人の時間が長くなることは目に見えています。
そんな時に打ち込める何かがあったり、同じ趣味をもつ仲間がいれば、社会とのつながりや生きがいをもっていられます。
しかし残念ながら僕は一切そういうものを持っていません。
なかなか見つかりもしません。
孤独と友達になれたらいいな。
ゆとりとさとり
年度末は一番仕事の忙しい時で、必然と帰宅時間も遅くなる。
先ほど疲れてアパートに帰ってくると、下の階に住むお姉ちゃんが外気温一桁なのに窓を全開に開けておりそれを見てさらに気が萎える。
おいおい寒くないのかよ、まだ2月だぜ・・・
ほんと変わった姉ちゃんだ
どういう神経してんだよ
こっちは部屋に入り、まず暖房をつけるのに
今日は年に数回ある会議に出席するが、あまりの内容の薄っぺらさに辟易。
あの1時間半は一体何なのだろう
この忙しい時に、と思ってしまった。
心にゆとりがないと、考え方も荒んでくる
つい一昨日までオリンピックを見て感動して感化されていたのに、あまりにも人間小さい自分が情けない。
イケないイケない。
自分も周りの人、小さなことに感謝することを意識して生きていこう。
ノックオンヘブンズドアとある朝、風に吹かれて
初めて耳にしたのは小学生くらいだっただろうか。
子どもながらに良い曲だなと思ってた。
大人になり、ユーミンの曲だと知った。
思えば、
記念日がある人、そして祝う記念日がある人は幸せではないだろうか。
自分で考えてみるけれど、特に思いつかない。
母の死んだ日か、病気を告知された日くらいしか思い出せない。
いつか一度でいいから良い意味での記念日というものを持ってみたい。
一生無くならない記念日を。
心が透き通る
今日の日が記念日