独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

叔母と借金①

昨日の記事で書いた叔母の面倒をみるという話。


1年前に叔父が亡くなってから叔母は二階建ての一軒家で一人暮らしをしていますが、どうやら亡くなった叔父には借金があったようです。


叔母は僕の父親の姉になるのですが、亡くなった叔父は叔母の兄弟から少なくとも5~600万の借金をしたまま亡くなったというのです。

叔母は借金は全て返済していたと聞かされていたようで、叔父が亡くなった後に、僕の父親(叔母の弟)からそのことを聞き、骨壺をぶちまけてやりたいと泣いていたそうです。

叔母も85歳ですから、そんな多額の借金を残されても困るでしょうが、それなら新築で2000万の家を建てる前に、いくらでも借金を返せたはずです。
叔父は身内だから借金を踏み倒してもいいだろうと思ったのでしょうか。
そうだとしたら年寄りとはいえ、ズルいですね。


そして叔母も、毎月20万もの年金が入ってくるのであれば、まずはじっくりコトコト・・ではなかった、毎月少しずつでも返済すべきです。

たとえあの家を売ってでも。

でもそういう考えは叔母にはないようで、
自分を誰がみてくれるのかということと、みてくれた人に家を相続させたいとしか思ってないようです。

もし僕が叔母の面倒をみたら、この負の遺産も背負うことになるでしょう。


なんか昼のドラマみたいだなぁと思ったのですが、身近にもこういうことがあるようです。


僕は小さい頃から母親に「借金だけはしてはいけない、特にサラ金は」と言われて育ったので、借りた奨学金はなるべく早く返済したくて、就職して1年目の給料はほとんど奨学金の繰り上げ返済にあてました。

車を買うのにも、ローンは結局借金と同じになるので、一括で購入します。


借金してもきちんと返済する意志があればまだいいですが、他者へ迷惑をかけるような借金はしてはいけない。


親父は「叔母にはしっかり借金を返すように話す」と言ってましたが、老いた叔母は知らなかったのだからかわいそうだなと思う反面、夫婦の責任として返済する責任もあるわけで。


これからどうなることやら。


貯金とは、何かあったとき、老いた時のための安心料なのだと思います。

御恩と奉公

何度かブログにも書いた叔父の一回忌があり、自分は甥なので出席しませんでしたが線香をあげに昨日の通院の帰りに叔母宅へ寄りました。


お茶をいただいて、1時間ほど叔母の話し相手をしました。
次の誕生日がくれば86歳だそうです。
頭はしっかりしているのですが、だいぶ足腰が弱っており、やっと歩いているような状態です。

 

nadeemsan.hatenablog.com

 

 

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叔母・叔父夫婦は80歳にして新築で家を建てなおし(しかも2階建て)、叔父の死後は家の名義を共同⇒叔母名義に変えたようです。
子どものいない叔母は自分が死んだあとの財産分与について考え始めたようで、僕に家をもらってくれないか、と言いました。

どうやら叔父の遺族年金がかなり入るようになったようで、毎月20万くらい年金が振り込まれるとのこと。

家を現金で支払ったので貯金はほとんどないようですが、毎月の生活費は10万くらいだろうから、残りの10万は貯金できる。
介護保険でヘルパーさんにも1日置きに来てもらい、掃除や買い出しなどをしてもらっているので、そんなに迷惑もかけるタイプではないだろう、と自ら言います。

言い換えれば、「一緒に住んで面倒をみてくれないか。そしたらこの家をお前にあげるから」ということです。


なぜ僕かというと、他にも甥や姪はたくさんいるのですが、僕以外は全員結婚しており自分の家をすでに建てて持っているか、もしくは親と同居しているかなのです。

僕がダメなら、僕の姉の子どもにあげようかと思っているとも言っていました。


ちなみに、新築した家といってもイマドキの内装ではなく、昔ながらの床の間があるようないかにも年寄りが住む家で、若い人からみたら全く惹かれないデザインの家です。


自分は現在賃貸アパート住まいですが、叔母と同居し今後の叔母の面倒をみるようにすれば、それと引き換えに一軒家を手に入れることが出来ます。
叔母がいつまで生きるかは分かりませんが、介護の報酬としての家。

相続税とか固定資産税とか、毎月の扶養などの税金問題は分かりませんが、
簡単に介護といっても、人間を一人面倒みるということ、それも老人をみるといったことは並大抵のことではありません。


叔母をみていると、一人で老人ホームに入るという選択肢は叔母の辞書にはありません。自分にも甥や姪がたくさんいますが、兄弟や甥・姪の世話になりたいとは一切思いません。
というより、将来迷惑をかけたくないから今必死で貯金しています。


ただ、昨日ふと思ったのです。
誰かのために生きるとか、何かのために生きるといった理由がない自分。

それならいっそのこと老いた85歳の叔母のために生きてもいいのでは、と。

その報酬で一軒家をもらえるのなら。

どうせ一人で生きていても、誰の役にも立たないこの人生。
毎日アパートと職場を往復するだけの、何はなくとも川が上流から下流に流れるように、ただ自分も呼吸をしているだけの日々。



キレイ事ではないことはわかっています。
財産目当てだと親戚から言われることも分かっています。


ただ、この空虚に彩られた日々ならば、叔母の提案に乗っかるのもアリではないかと思いました。

すぐに出さなければならない答えではないので、少し考えてみたいと思います。

桜桃と味

今日は自分の定期通院日でした。


検査を済ませ、診察を受けます。
体調は安定しており、検査の結果も問題なさそうでした。

診察で「調子はどうですか?」と問われたので、
職場の上司に病気のことを知られている可能性があることや、胃が張って食欲がないため胃薬を毎日飲んで生活していることを伝え、胃薬が終わってしまうので処方をお願いしました。


主治医は「何かあれば言ってください」と言ってくれました。
僕は自分の病気のことを誰にも伝えていないため、現状知っていて言葉を交わすのは主治医くらいです。

ですが、大きい病院の医師ですから、何かあったからといって気軽に予約をとって長時間相談・・・というわけにはいきません。


あくまで定期通院時に報告程度。


内服している薬が変更になったので、治療の面でも緊張の日々が続きます。


だから強い胃薬さん、これからも僕をよろしくね。

婚活パーティーの参加費差と不可思議

アパートのポストに無料の情報誌が投函されていました。


何気に目を通していると、婚活パーティー募集の記事に目が留まりました。
パーティーどころか、そもそも病気持ちの自分には縁がない記事ですが、一つびっくりしたことがありました。


それは、男性参加費5500円に対し、女性は500円だけ。

他にも色々な日にちで会場もホテルだったりレストランだったりがありましたけど、
男性は6000円前後で、女性は1000前後・・・。


まぁ相対的に男性の方が収入は多いからなんでしょうけど、こんなに差をつけないとならないものなのでしょうか。


結婚相手を見つけたいのは男女ともに同じなわけで、ここまで値段差があると女性は単に食事だけが目当てで参加したりだとか、男性はバカバカしくてやってられないとか思う人もいると思うんですけど・・・・。

フェアじゃないというか。

こうまでしないと女性が集まらないのですかね。
テレビとか見ていると、婚活市場は女性の方が活気があって、むしろ男性の方が不足しているというのを見たことがあったのですが。


いづれにしろ僕がどうこう言える資格はないのですが。
すみません。

川越美和と孤独死

 

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川越美和が9年も前に孤独死していたというニュースを見ました。


今日の「特ダネ!」で取り上げられたそう。
中江有里が共演した過去の思い出を振り返り、声を詰まらせていたそうです。



35歳での孤独死
死因は心不全とのことですが、心不全に至る原因は色々考えられると思います。
最期は生活保護を受けていられたとか。。。



川越美和といえば、夏休みにやっていたドラマ「天までとどけ」の主題歌の「涙くんさよなら」を歌っていました。今も口ずさむことが出来ます。
自分と同世代以上の方なら「あ。聞いたことある」という曲ではないでしょうか。


孤独死を見つけたのは、アパートの管理人さんだったとのこと。
亡くなったのが9年前の35歳の時。
僕と同年代です。
他人事ではありません。



でもね。



9年前の訃報を聞いてテレビ出演中にもかかわらず涙を流してくれた人がいたこと。
そんな人が一人でもいたことを良かったなぁと思います。


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自分も小学生の頃にドラマから流れてくる彼女の歌声を聴いていたファンの一人として、ご冥福をお祈りします。





実家と干物

今日は実家で晩御飯を御馳走になってきました。


久しぶりに干物を食べました。
住むアパートの電気コンロではフライパンでしか魚を焼けないため、焼いても鮭とか鱈くらいで、干物を食べることが出来ません。
フライパンでは上手く火がとおらないので。


宮里藍ちゃんが引退した会見の話とか、この生姜の酢漬けは手作りなんだけど美味しく出来たとか。

そんな日常の些細な会話ですら話す相手のいない自分は、実家で晩御飯の時間を共にさせてもらうことすら貴重に思います。


子どもの頃は当たり前だった光景。

家族で食事することなんて当たり前だった。
当たり前のことだから何とも思わなかった。


特別なものなどなくても、家族や大切な人と一緒に干物を食べることの出来る時間。
そんな幸せを思いながらぼっちのアパートへ帰ってきました。

囚と灰

日曜日。
朝起きて洗濯をし、人が少ない開店直後のスーパーへ1週間分の食材を買い出しに行き、午後はプールで泳いでそれ以外はぼーっとしてひたすら1日が終わるのを待つということを繰り返す。


そこに誰かとメールしたり、電話したり、今後の予定に思いを馳せるという、ごく普通の人たちが行っている行為はない。


開店直後のスーパーですらそこそこ人はいて、皆楽しそうに買い物をしている。
夕飯のおかずは何にしようかという相談をしているのだろうか。
僕にはわからない。

食べたいものもないので、自分一人で食べるためだけのカレーの材料とサラダの材料、牛乳、冷凍食品などを買って帰宅した。


プールで体重を計ったら、また少し瘦せていた。
最近太ったと思っていたのだが・・・。


どうせなら、いっそこのままゼロになってこの世からこの肉体も精神も無くなってしまえばいいのに。
そんなことを思った。