独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

スリランカの青年と平等

スリランカという国。
抱くイメージといえば、紅茶とか宝石、ア-ユルヴェーダくらいでしょうか。

数年前までは内戦もしており、旅行者の立ち入れない地域(主に北東部)がありました。
自分が訪れたのはもう10年くらい前になりますが、スリランカでまず思い出すのは「人が親切だった」ということです。かなり英語が通じることと、ヨーロピアンの旅行者などには人気の国でもあるため旅行者自体は多いのですが、ただの一旅行者である自分も多くの親切をスリランカの人からもらいました。

結局旅行した国の印象を左右するのは現地の人によるところが大きいですよね。
僕はそう思います。
ゆえに、スリランカはカレーがくそ辛かったというイメージと、人が親切だったというイメージくらいしか残っていないほどです。

スリランカ人は肌の色が黒い人が多く、民族的には南インド人と似ています。
インド人との違いは、インドはヒンドゥー教スリランカ仏教ということでしょう。
似て非なるものです。


スリランカには1週間ほどの滞在でしたが、今でも記憶している青年との出会いがありました。

 
南部にあるタンガッラという海沿いの町に滞在していた時のことです。

本当はゴールという、世界遺産にも登録されている要塞で有名な町に行く予定で、バスの乗り換えのために寄ったドライブインのようなところで現地のオジサンと次のようなやりとりがありました。

おじさん「これからどこに行くんだ?」
自分「ゴールだよ」
おじさん「ここからゴールへは直行バスはないよ」
自分「え?マジ?」
おじさん「海を見たいならゴールはやめてタンガッラがいいよ」
自分「タンガッラ?どこそれ?」
おじさん「海に行きたいならタンガッラにしなさい。バスが来たら教えるよ」
自分「そんなにタンガッラはいいのか・・・ってゆうか、おじさんは何してるの?」
おじさん「手助けだ。お、バスが来たぞ。タンガッラか、それともゴールに乗り継ぐた
     めマータラという町に行くのかどうするんだ?急げ」
自分「わかった。タンガッラにする!」

こんなやりとりで急遽タンガッラという町へ行くこと・・・。


タンガッラのバスターミナルに着き、地元の人に尋ねながら宿を探して1泊1000円くらいの安宿にたどり着きました。
その宿の女主人から次のようなことを聞きました。
「タンガッラもスマトラ島沖地震による津波の被害が大きかったところで、わたしも家族を津波で亡くした」と。

街のいたるところには津波の爪痕が残り、バスターミナルも全壊して今は仮設の場所に建てられていたようです。

そんなことは知らずに訪れた町。
観光資源は一切なく、海沿いでのんびりすることくらいしかありません。
スリランカの海はサンゴ礁の海ではないので、波は荒く綺麗な海ではないですが。

そんなタンガッラのビーチを歩いていた時に、見た目サーファーのような20歳のスリランカ人の青年から声をかけられました。
名前はマヘシュと言いました。

色々話をしているうちに仲良くなり、スリランカの内戦や文化のこと、津波のことなどを色々教えてくれました。
彼も津波で家を失い、仕事も見つけられず、両親は彼と妹が3歳の頃に蒸発し今は祖母の家に寝泊りしているが祖母と折り合いが良くないらしく、昼間は家に帰ることが出来ないため毎日ビーチで海を眺めて時間をつぶしていると話していました。
妹は16歳で結婚して子供を産んだが、その子供も生後9か月で津波の被害にあい亡くなったという。
政府は何の補償もしてくれない、と話していました。

マヘシュには居場所がなく、昼間はビーチで過ごすしか出来なかったのだと思います。
本当に夜になって寝に帰るだけだと。

タンガッラは通常旅行者が訪れるような町ではないため、マヘシュにとっても日本人旅行者は珍しかったようで、話をしているうちに仲良くなって町を案内してくれたり、ご飯を一緒に食べたり、泳いだりして過ごしました。

マヘシュは僕に次の様に質問してきました。
「日本からスリランカへの飛行機はいくらだい?」

この類の質問は、発展途上国では現地の人からよく聞かれることです。
黄金の国ジパングではないですが、日本は「金持ちの国」というイメージはどこに行っても言われます。

いつもは少し低めの金額を伝えますが、それでも1日の収入が数百円のような発展途上国の人たちにとっては、桁外れの金額です。
それが心苦しくて、つい言葉を濁してしまいます。

この時も、適当に少ない金額を伝えましたが、現在家も仕事もないマヘシュにとっては、夢のまた夢の金額だったことでしょう。


短い滞在を終えバスでタンガッラを出発する際、マヘシュがバスターミナルまで見送りに来てくれました。
1日数本しかない首都であるコロンボまでの時刻表なども、前日に街案内をしくれた時に一緒に調べてくれていました。

バスの中でチケット代金を支払うように言われて車内に乗り込むと、遅れて入ってきたマヘシュが「これがコロンボまでのチケットだよ。会えてよかった、日本まで気を付けて帰って」とバスのチケットを僕に渡しました。
僕のためにチケットを買ってくれていたのです。

金額は約200円。
僕からすればたったの200円。
でも、彼にしてみたらこの200円があれば1日3回のご飯が食べられる。
日本から大金を使って飛行機でスリランカへやってきて、娯楽という名の旅をしている僕は、彼からみたら「桁外れに金持ち」だっただろう。
僕の200円とマヘシュの200円は価値が何倍も異なる。

それなのに、僕のためにチケットを自分のお金で買ってくれた。


僕は胸がいっぱいで言葉になりませんでした。
ガイド料と称してお金をとろうとするならまだしも、津波で被災し家を失い、仕事もない彼が僕にくれたやさしさ。

200円に少し上乗せした金額をマヘシュに渡し「嬉しいけどこれは受け取れない。本当にありがとう。でもこのお金は自分のことに使って欲しい」と伝えて何度も握手を交わしました。

旅先での現地の人からの親切はありがたく受け取ります。
たとえば中東などに行くと、けっこう「チャイを飲んでいけ」とか「一緒にご飯を食べていけ」などと声がかかります。僕はそういった現地の人との関わりが楽しくて旅が大好きだったのですが、その時だけはマヘシュの好意に甘えることはしませんでした。

この時に感じたことがあります。

世の中というのは生まれ落ちた時点でまったく平等でない。
能力、容姿、才能、金。

日本という国に生まれたのか、スリランカに生まれたのか。
その時点でもうすでに平等ではない。

ちょっと働いてお金を貯めれば旅行という名の「娯楽」が簡単に出来る日本人に生まれた自分。
どれだけ働いても、きっと簡単には日本になど行けないマヘシュ。


スリランカは旅の最後、日本に帰る前に海で癒されたいと思って寄った国だったのですが、のどかで景色も人も全てが素晴らしく、マヘシュとの出会いもあって印象に残っている国です。
帰国してからも、マヘシュとは何度か文通を交わしました。


かってセイロンという名で知られた国、スリランカ
その国はこう形容されます。
「国土の形からインド洋に落ちた小さなひとしずくの涙のようだ。」