独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

叔母と黄昏時

昨日の病院の帰り道、ブログによく書く87歳のおばの家に寄って来ました。


アパートまでの途中にあるんです。
今のおばの心配事はただ一つ。
家を継いでくれる人をどうするか、ただそれだけ。


寄れば必ずその話が出るのですが、昨日も例外なし。


僕の父はこれまでさんざん足の悪い叔母夫婦(死んだ叔父も)の面倒を見てきました。
しかし孫が共同名義の土地に家を建てることに反対されたことに激高し、現在は疎遠となっており、他の兄弟が病院へ連れて行くなど色々面倒をみています。


しかも死んだ叔父はおばに内緒で生前に数百万の借金をその親戚にしています。
それを残して死にました。


昨日僕はおばに言いました。
人間はいま元気でも、明日は何が起こるか分からない。
死ぬかも分からない。
家を継いでくれる人が見つからないのにおばさんにもしものことがあった場合、
今の状況だと世話になっている親戚だけでなく、5人兄弟の他の人たちにも相続権が平等にあるため、争いになることも考えられる。
だから遺言をしっかり残しておくなどした方がよい、と。


借金をしている親戚にこの家なり現金なり、いづれかのカタチで相続が重点的に行くようにと。
その親戚にこれだけ世話になっているのだから、と。
赤の他人がここまでしてくれるか、と。


しかしおばは言いました。
面倒をみてくれる兄弟と、家の相続は別物だと。
仲の良い友達が娘をうちに養子にくれると言っている。
だから身内で継いでくれる人がいなければ、その人の世話になろうと思っている、と。


僕から言われたことがよほど頭にきたのか、
その後は僕の話を聞くこともせず一方的に自分の言い分だけを述べ続けました。
そしてお前の言うことについても今度兄弟を呼んで聞いてみると。


僕はもう呆れてそれ以上のことは言いませんでした。


早く帰りたくなってしまい、「寄らなきゃよかった」と思いながらおば宅を後にしました。


高齢ですし、長年生きてきた自尊心とか、叔母なりの苦労とか色々あるのは分かります。
でも自分のことしか頭になく、「100歳まで生きて毎月20万の年金がもらえるんだから、それで残した現金で親戚への借金を返すか、持っている土地をくれるから良い」と言い切ってしまうおばを見て、こうなりたくないし、ここまでして生きたくないと思ってしまいました。


「やっぱ独りものは長生きなんかしたって良いことはない。」


自分の通院の帰りだったこともあって、そんなことしか脳裏をよぎりませんでした。


僕には自分の子どもの成長も、孫の成長も、張本智和がオリンピックで金メダルを獲る姿も、自動運転の車が登場する未来も、初の女性天皇が登場するかもしれない皇室も、日本の行く先も、見届けたいものは何一つない。