独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

御恩と奉公

何度かブログにも書いた叔父の一回忌があり、自分は甥なので出席しませんでしたが線香をあげに昨日の通院の帰りに叔母宅へ寄りました。


お茶をいただいて、1時間ほど叔母の話し相手をしました。
次の誕生日がくれば86歳だそうです。
頭はしっかりしているのですが、だいぶ足腰が弱っており、やっと歩いているような状態です。

 

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叔母・叔父夫婦は80歳にして新築で家を建てなおし(しかも2階建て)、叔父の死後は家の名義を共同⇒叔母名義に変えたようです。
子どものいない叔母は自分が死んだあとの財産分与について考え始めたようで、僕に家をもらってくれないか、と言いました。

どうやら叔父の遺族年金がかなり入るようになったようで、毎月20万くらい年金が振り込まれるとのこと。

家を現金で支払ったので貯金はほとんどないようですが、毎月の生活費は10万くらいだろうから、残りの10万は貯金できる。
介護保険でヘルパーさんにも1日置きに来てもらい、掃除や買い出しなどをしてもらっているので、そんなに迷惑もかけるタイプではないだろう、と自ら言います。

言い換えれば、「一緒に住んで面倒をみてくれないか。そしたらこの家をお前にあげるから」ということです。


なぜ僕かというと、他にも甥や姪はたくさんいるのですが、僕以外は全員結婚しており自分の家をすでに建てて持っているか、もしくは親と同居しているかなのです。

僕がダメなら、僕の姉の子どもにあげようかと思っているとも言っていました。


ちなみに、新築した家といってもイマドキの内装ではなく、昔ながらの床の間があるようないかにも年寄りが住む家で、若い人からみたら全く惹かれないデザインの家です。


自分は現在賃貸アパート住まいですが、叔母と同居し今後の叔母の面倒をみるようにすれば、それと引き換えに一軒家を手に入れることが出来ます。
叔母がいつまで生きるかは分かりませんが、介護の報酬としての家。

相続税とか固定資産税とか、毎月の扶養などの税金問題は分かりませんが、
簡単に介護といっても、人間を一人面倒みるということ、それも老人をみるといったことは並大抵のことではありません。


叔母をみていると、一人で老人ホームに入るという選択肢は叔母の辞書にはありません。自分にも甥や姪がたくさんいますが、兄弟や甥・姪の世話になりたいとは一切思いません。
というより、将来迷惑をかけたくないから今必死で貯金しています。


ただ、昨日ふと思ったのです。
誰かのために生きるとか、何かのために生きるといった理由がない自分。

それならいっそのこと老いた85歳の叔母のために生きてもいいのでは、と。

その報酬で一軒家をもらえるのなら。

どうせ一人で生きていても、誰の役にも立たないこの人生。
毎日アパートと職場を往復するだけの、何はなくとも川が上流から下流に流れるように、ただ自分も呼吸をしているだけの日々。



キレイ事ではないことはわかっています。
財産目当てだと親戚から言われることも分かっています。


ただ、この空虚に彩られた日々ならば、叔母の提案に乗っかるのもアリではないかと思いました。

すぐに出さなければならない答えではないので、少し考えてみたいと思います。