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独男、日々を飛ぶ

独りぼっち男の日常

ワーホリと旅行者

先日、短期の日雇い労働者として働きお金を貯め、物価の安いアジア・中東などへ旅に出ることを繰り返す旅行者のことを書いた。

 

先日、とある人に話を聞いた。
彼は現在27歳。
リゾートバイトをしており、住み込みで料理人として働き、休日は好きなスノーボードや釣りをしているそう。
もう少しお金が貯まったら、カナダへワーキングホリデーへ行きたい、その先にはバックパッカーもしたいと語っていた。
色々なバイト先で知り合った仲間がたくさんおり、カナダにもいるそうだ。

彼は「おれはひとつのところに留まって仕事をするとか出来ない」と言っていた。
自由人。

目がキラキラしていた。

彼に限らず、物価の安い東南アジアなどでは日本で派遣労働者としてお金を貯めて、ある程度の金額になったら派遣を辞めてまた海外へ行くことを繰り返す人にたくさん出会った。

それを羨ましいと思う反面、そこまでの勇気が私にはなかった。
働ける場所があって、決まった給料をもらえる仕事を捨てる勇気。
日本という社会からドロップアウトする勇気。

海外で出会った人には、日本できちっと仕事を片付けて、職場の誰にも文句を言われないよう頑張って働いて長期の休みをとり、念願だった場所に旅に来た、という人にもたくさん会った。

彼らはいわゆるメジャーな国ではなく、短期旅行では行きにくいような国、
イエメンとか、パキスタンとか、ボリビア、などだったが、なんとか休みをくっつけて、行きたかった場所に来たと話していた。

これが本当なんだと思う。

ここからは私個人の意見だが、旅行は娯楽である。
私たちは日本人だからこそ、旅という娯楽を簡単に楽しむことができる。
普通に働けば、ある程度の金額を稼ぐことができるからだ。

これが、1日1ドルで生活するカンボジアの貧しい農村地帯の人や、インドのカースト制度によって乞食をしている人、内戦状態のシリアの人たちに簡単に出来るだろうか?

いや、できないだろう。

この日本という経済的に豊かな国に生まれた人間に許された娯楽。
苦労もたくさんあるが日本で働きながら給料を稼ぎ、休みをとって旅にでる。

自由と拘束は、太陽と影のような関係だと思う。
拘束があるからこそ、自由が光り輝くのだと思う。

もう二度と彼に会うことはないだろう。
この先彼がどんな人生を歩むのか私は知らない。
何が良くて、何が悪いということではない。

ただ、自分で選んで自分で決めたことに責任を持つ。
それはワーホリであってもヒキコモリであっても必要なことだと思う。

わかっていても難しいことだが。